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トクスグン 徳寿宮

管理者 0 2,352 2017.07.11 11:30

ソウル市庁の隣りにある徳寿宮(トクスグン)を紹介したいと思います。こちらは王の兄が住んでいた邸宅だったり、避難先から戻ってきた王が臨時の王宮として使用したり、200年以上もの間主人不在の王宮だったり、また大火災に見舞われたりと、なにかと波瀾万丈な、朝鮮王朝の歴史を語る上で欠かすことが出来ない元王宮。現在は近くのサラリーマンの休息所やカップルのデートコースとして地元の人に親しまれています。そんな人気の徳寿宮を、くわしく見て行きましょう。


徳寿宮はかつて、成宗(ソンジョン・李朝第9代王、14571494、在位14691494)の兄である月山大君(ウォルサンテグン)が住んでいた邸宅でした。しかし豊臣秀吉による文禄・慶長の役が勃発した翌年の1593年、避難先からソウルに戻ってきた宣祖(ソンジョ・李朝第14代王、15521608、在位15671608)が月山大君が住んでいたこの邸宅を臨時の王宮として使用。最初は徳寿宮があった場所の名前が貞陵洞だったことから貞陵洞行宮(行宮とは王の臨時宿所のこと)という名前でしたが、光海君(クァンヘグン・李朝第15代王、15751641、在位16081623)が慶運宮(キョンウングン)と命名、数年間をこちらで過ごしました。しかし1615年、光海君が昌徳宮(チャンドックン)に居場所を移し、その後274年もの間、こちらは主人不在の状態の王宮でした。


しかし1897年、高宗(コジョン・李朝第26代王、18521919、在位18631907)がここ慶運宮を修理して、もとの王宮らしい姿に生まれ変わらせた後、俄館播遷(アグァンパチョン・18962月に明成皇后暗殺で身の危険を感じた高宗がロシア公館に避難した事件)の翌年の1897年、慶運宮に居場所を移し、再び王宮として使用されるようになりました。この時から高宗が皇帝として在位した1907年まで、徳寿宮は大韓帝国(1897812日~19101022日)だった時代の、波乱万丈な歴史の中心でした。1904年の大火災でほとんどの殿閣が焼失、1905年には重明殿(チュンミョンジョン)で日韓保護条約(乙巳条約)が締結されるなど、幾多の受難を経験した歴史的な場所となりました。高宗の次男である純宗(スンジョン・李朝第27代&最後の王。18741926、在位19071910)が1907年に皇帝に即位し、再び昌徳宮へ居場所を移したのですが、慶運宮に残った高宗の長寿を願う意味で徳寿宮と命名、以来慶運宮は徳寿宮と呼ばれるようになりました。
18000坪の規模の徳寿宮は現在、一般人が自由に観覧できるように開放され、都心の中の文化的かつオアシス的な空間となっています。ソウルにある5大王宮の中でも一番町中にあり、にぎやかな王宮でもあります。あるときは近くのオフィスに勤めるサラリーマンの休息所として、またあるときは学生の見学コースやカップルのデートコースとして、さまざまな人々に愛されている王宮です。また2002年のワールドカップの時は数十万人のレッド・デビル(韓国国家代表サッカーチーム公式サポーター)が集まり応援した場所がまさにここ、徳寿宮の前!マスコミではソウル市庁前に集まったと報道していましたが、実は徳寿宮の前でもありました(^-^) また徳寿宮の建物の1つである別館には徳寿宮美術館がおかれ、文化空間としても大きな役割を担っています。
また中には中和殿(チュンファジョン)、中和門(チュンファムン・宝物(国宝と重要文化財の間)819号)、咸寧殿(ハンニョンジョン・宝物820号)、仰俯日(アンブイルグ・宝物845号)などの文化財も多く、徳寿宮自体も史跡124号に指定されています。


徳寿宮の正門である大漢門(テハンムン)の右側にチケット販売所があるので、そこでチケットを買ってから大漢門から中に入ります。あ~!それから大漢門の前では李氏朝鮮時代の王室の伝統と威厳が感じられる「王宮守門将交代儀式」の再現行事が開催されています。だからできれば交代の時間に合わせて徳寿宮に行くのが良いかも!(^-^) 
大漢門を通ると左側にインフォメーションセンターがあるので、そこで徳寿宮を観覧する前に案内パンフレットをもらいましょう~!ちなみに日本語の無料ガイドを希望する方は、スタートする時間までに禁川橋を渡って左側にある総合案内板の前に行くと、約1時間ほどで無料で案内してもらうことができます。